農業で年商10億越えは可能なのか?~脱サラ就農、九条ねぎで年商10億円を読んで~
今回は、京都で九条ねぎの生産と販売に特化して、グループ全体で年商12億円を実現する農家を紹介する。
「こと京都」の山田社長が執筆した本から儲かる農業のエッセンスを抜粋していく。
目次
結論
産地のイメージを有効に活用できる栽培作物とそれに対応した販路に絞り込むことにより、市場でNo.1になれる。
山田社長は、栽培作物を九条ねぎに、販路をラーメン屋にを絞り込み、九条ねぎ市場でNo.1を実現。
背景
実は、山田社長の父親が農業経営していたときは栽培面積1haで年商400万円の”稼げない農家”の典型例であった。
栽培作物はお米・大根・キャベツなど多種多様な作物を作っていたため、市場における競争力が無く、市場価格に一喜一憂するしかなかった。
そこで、山田社長は「京野菜」として東京の市場で高値で取引されていた「九条ねぎ」に特化した農家になることを決意。
地の利を生かした、ランチェスター戦略の「一点集中主義」の好例である。
もちろん、山田社長の父親はリスクが高い農業という理由で猛反対であった。
なぜ九条ねぎ?
九条ねぎを選定した理由を「生産」と「販売」の面から紹介。
生産
九条ねぎは周年栽培が可能な作物である。
京都府内の複数箇所に畑を所有し、産地リレーとして、京都市・亀岡市・南丹市で時期をずらして年中出荷できる体制を作る。
販売
東京の市場では、長さ70cmの大束で出荷すると「京野菜ブランド」で高値で取引されていることを知る。
また、京都市内に、「ねぎ屋」と呼ばれる、加工業者が年商1億を売り上げていることを知り、カット加工も手掛ける決意。
親の猛反対を押し切り、九条ねぎに特化
仮に、九条ねぎの生産と販売が安定すれば、利益を大きく上げられる可能性があるところに目をつけた決断であった。
頑固な父親とのケンカを繰り返しながら、何とか反対を押し切って、栽培をスタートできた。
そして、家の一部をカット場所にして、九条ねぎのカット加工まで手掛け始める。
ではどこに売るのか?
九条ねぎに特化し、カット加工まで手掛けたものの、どこに販路を拡げるべきか悩んでいる時に、1冊の本と運命の出会いがある。
それは、私も大好きなラーメン屋を紹介する本である。
「最新!最強!究極のラーメン マジウマ500軒」という本で、それは2002年でラーメンブームの走りの年であった。
「これだ」と即決して、京都から東京への出張を繰り返し、ラーメン屋に飛び込みの営業をかける日が続く。
もちろん、生産もしているので、2泊3日の出張を繰り返す。
営業する中で、ねぎをゴミ扱いする、ラーメン屋の店主もいた。
しかし、へこたれることなく、雨の日も関係なく、地道に飛び込み営業を続け、2年で300軒まで販路を拡大。
あの”一風堂”とも取引を実現し、遂に、年商1億円を達成するまでに。
10億の壁を突破するために、後継者育成と商社機能を拡充
売上1億円を突破した後は、後継者育成に注力し、「こと京都」のスタッフを積極的に独立支援。
競合ではなく協業として、卒業生の九条ねぎを全量購入するという好条件でサポート。
自社生産だけにこだわらない、九条ねぎに特化した専門商社に進化していく。
そして、現在は、日本のねぎ市場の10%である「4万トン」の取り扱い量まで拡大させる。グループ全体で年商12億円を突破!
ここまで来れば、九条ネギでは右に出る者はいない。
本書のすすめ
本書には、山田社長が1995年に就農し、年商400万円のときから、2016年に年商12億円に達するまでの年表も載っている。
順風満帆に見えるが、決してそんなことはない。
実は、プリンとケーキを提供するお店で失敗したことも赤裸々に語っている。
農業でさらに売上を伸ばしたい方や、儲かる農業を実現することを目指して就農を考えている方は一読することをおすすめする。